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睡眠3

知らぬ間にはまる「眠りの借金地獄」
「今日はちょっと寝不足だ」「最近、睡眠不足でね」 あなたもこうした言葉を交わしたことがあると思う。この場合、「眠りが少し足りないだけで、たいした問題ではない」というニュアンスではないだろうか。 しかし私たち眠りの研究者は、睡眠が足りていない状態を、「睡眠不足」ではなく『睡眠負債』という言葉を使って表現する。借金同様、睡眠も不足がたまって返済が滞ると、首が回らなくなり、しまいには脳も体も思うようにならない「眠りの自己破産」を引き起こすからだ。 睡眠をお金として考えてみてほしい。「1万円、お金が足りない」というとすぐに解決できるし、大問題ではない印象だ。 一方、「負債は1万円」という場合、それはどんどん増えていく印象となる。借金には利子がつくのだから。つまり、「睡眠負債」とは、睡眠時間が足りないことによって、簡単には解決しない深刻なマイナス要因が積み重なっていくという意味を含んでいる。 いってみれば、気づかないうちにたまる眠りの借金、それが睡眠負債なのだ。 自覚しないままに脳と体にダメージをりえる危険因子が蓄積されていく。とても恐ろしい状態だか、あまりに無頓着な人が多いのが現状だ。

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アルコールや薬物を摂取した運転が危険なことは、よく知られている。睡眠負債を抱えた人のパフォーマンスも同じように危険なものだ。法の規制もなく、その危険性を本人か認識していないという点では、飲酒運転以上に危険かもしれない。 睡眠負債かあると、日中の行動に大きなマイナス影響がある。一見、普通に起きている人でも、実はすべての職能が正常に働いていない可能性が非常に高いのだ。 睡眠負債については、興味深い実験結果がアメリカの学会誌『Sleep』に発表されている。 内科などの夜勤がある科と、放射線科や内分泌科などの夜勤がない科の医師20名を対象に、翌日の覚醒状況を比較した。 具体的には、タブレットの画面に丸い図形が約90回ランダムに出現する肖像を5分間見て、図形が出るたぴにボタンを押す、といった作業に取り組んでもらう。誰でもできる簡単な、だからこそ退屈で眠くなる作業だ。その結果は、驚くべきものだった。前日に通常どおりの睡眠をとっている放射線科や内分泌科の医師たらは、正確に図形に反応した。 一方、夜勤明けの内科医は、図形が約90回出現するうち、3、4回も数秒間図形に反応しなかった。反応しない間、なんと医師たちは眠っていたのである! さらに恐ろしいのは、夜勤明けのこの医師だちか、勤務時間中だったことだ。

 
夜勤明けの医師たちが陥ったこのような状態をマイクロスリープ(瞬間的居眠り)といい、この状態は脳波で確認できる。マイクロスリーブは1秒足らずから10秒程度の眠りを指し、脳を守る防御反応といわれたりもする。 つまり、防御反応が出るくらい睡眠負債は「脳に悪い』のである。 睡眠負價によるマイクロスリーブの大きな問題は、ほんの数秒であるがゆえに、本人も周囲も気がつかない点にある。 たとえば過眠症のナルコレプシーは、突然、眠ってしまうという発作が起きるが、患者には「こういうときに起きやすい」という自覚症状が多少あるうえ、普段から通院し、注意もしている。 しかし、睡眠負債によるマイクロスリーブには予兆もなく、薬を飲むといった対策もとられない。「ただの寝不足だから大丈夫」という認識で押し切ってしまうのだ。もし、運転中にマイクロスリーブが起きたら?もし、一人で海釣りをしているとき、マイクロスリーブが起きたら?もし、取引先と重要な商談中、マイクロスリーブが起きたら?・ 睡眠負債を抱えている人は、常にこの「もし」が現実になる状況にある。 睡眠に問題を抱える人が、脳波を測定する装置をつけてドライブシミュレーションで運転した実験では、3〜4秒、脳波上に睡眠パターンがはっきりと出た。見た目にはわからないし、本人も自覚はないが、この間完全に眠っていたのだ! たかが数秒、されど数秒。仮に時速60キロで運転していて4秒間意識が飛ぶと、70メートル近く車が暴走する。 私は少しでも眠りが足りていないと感じるときは、絶対にハンドルを握らないと決めている。正確にいえば、怖くて「握れない」のだ。
日本には、睡眠負債を抱える『睡眠不足症候群』の人が外国に比べて多いというデータかある。もちろん睡眠時間には個人差があるが、数千人程度で統計をとると睡眠時間の分布がわかる。なかには、後述するように100万人規摸での統計もある。フランスの平均睡眠時間は8・7時間。アメリカの平均睡眠時間は7・5時間。日本の平均睡眠時間は6・5時間。日本は少ないとはいえ、この平均睡眠時間がとれていればまだいいだろう。しかし日本人には、睡眠時間が6時間未満の人が約40%もいるといわれている。6時間未満というのは、アメリカでは短時間睡眠とされる数値だ。 さらには、ミシガン大学が2016年にインターネットでおこなった訓育では、100国中、日本の睡眠時間は最下位にランクされた。 眠りには個人差があり、日本の首都圏では通勤電車で寝るといった独自の状況もある。もしも「日本人は6時間未満でも十分」なら、それでもかまわないだろう。 しかし、私たちの調査では、6時間未満しか寝ていない日本人も、実は「7・2時間くらい寝たい」と感じている。この『眠りたい時間』と『実際の睡眠時間の差』も諸外国に比べて大きいのが実情だ。 NHKの調査によると、睡眠時間は年々短くなっており、深夜まで覚醒している人も珍しくない。1960年代には60%以上の人が夜10時までに寝ていたが、2000年ごろから20%台へと下がっている。まへ東京の平日の平均睡眠時間は5・59時間。世界の都市と比べて断トッで少ない。日本では、都会に住む人ほど眠れていないのだ。

私はスタンフオード大学に隣接する、のんびりしたパロアルト市の自宅から東京に来るたぴ、あまりの明るさに驚いてしまう。コンビニエンスストアや飲食店など24時間営業の店には深夜でも人が多く、オフィス街のビルの明かりはなかなか消えない。「眠らない街」は、「眠れない人」をたくさんつくり出しているかのようだ。「理想の睡眠時間」は遺伝子で決まる 睡眠負債がたまるとマイクロスリーブが発生する危険が増すが、それでは「眠りをなくす」とどうなるのだろう。 期間限定だが、眠らない動物もいる。 たとえばエンペラーペンギンは、ヒナが孵化するまでの1〜2か月、ほとんど眠らない。 多くのペンギンは足の間で卵を温める習性があるが、エンペラーペンギンが生息しているのはマイナス60での南極。卵を外気にさらしたらアウトなのに、なぜか巣を持たない。 卵を抱いている間、彼らは雪を多少食べるだけでほとんど動かす、立ちっぱなし。猛吹雪の中、食べない、眠らない、動かない。これは並大抵のことではない。 ちなみにこれは、オスのエンペラーペンギンだけ。エンペラーペンギンのメスは卵を産むとすぐにオスに預け、自分はエサを探しに海に出る。同じペンギンでもアデリーペンギンは夏場に巣を作り、卵は夫婦が交代で温める。キングペンギン、ケープペンギンも夫婦で卵を温める。 エンペラーペンギンの「眠らない」は、「起きているが眠っているような状態」に近いとされている。エネルギー消費を極力抑え、自分と卵の生命維持に専念しているのだろう。
また、アフリカにいるバッファローの仲間にも、発情期に何週間も眠らない櫨がいる。ペンギンにしてもバッフアローについても、眠らない時期は年間を通じてではなく、自分の意思でもない。種としての命のリズムにコントロールされているのだ。 人間はどうだろう?意識的に眠らずにいることはできるのだろうか? これに関して、デメント教授がかかわった面白い実験記録がある。1965年、「アメリカの男子高校生がギネスの不眠記録に挑戦する」と地元紙が報じ、デメント教授は研究のために観察を申し出たのだ。 実験記録を読むと、教授たちは挑戦中、高校生の眠気が強まるとゆさぶったり話しかけたり、しまいにはバスケットボールをさせたりと、さまざまな「眠らない工夫」をしたようだ。 結果として、数秒のマイクロスリーブはあったものの、男子高校生はなんと11日間も眠らなかった。それ以前のギネス記録は測定方法が疑わしい部分もあるが、デメント教授は脳波計でも測定していたので、不眠記録として間違いない。教授による詳細な記録によれば、チャレンジが後半になるほど、高校生はろれつが回りにくくなり、言間違いも増え、些細なことにイライラした。幻聴や被害妄想も多少出ていたとある。眠気が強いときには単純な足し算も間違えていたようだ。 だが、眠気がないときはコンディション上ほぼ問題なく、教授とのバスケットボールでは勝っており、実験終了の翌日は14時間40分眠ったあと、普通に目覚めている。 しかし、これは決して『人間は11日くらい眠らずにいられる』というエビデンスにはならない。眠りそうになると水をかけたり痛めつけたりする「断眠」は古くからある拷問の手法だ。ナチスドイツや文化大革命時代の中国でもおこなわれ、拷問を受けた人は幻覚や妄想が出て、精神に異常をきたしたという記録がいくらでもある。 では、なぜアメリカの高校生は眠らずにいられたのだろうか? 体質的なものだと考えられるが、その体質が具体的にどのようなものかは、実はまだ科学的に解明しきれていない。1950年代にスタートした新しい学問である睡眠医学には、こうした未知の領域がまだ多いのだ。 日本人の多くが睡眠負債を抱えているわけだが、当然、例外も存在する。経営者、芸能人、政治家など、断眠までいかなくても、短時間睡眠で元気な人はたくさんいる。 スタンフオードにも「寝なくてもぜんぜん平気」という教授がいて、実際に脳波計や活動計をつけてもらって調査したところ、彼は本当に毎日4時間しか寝ていなかった。それでもいたって健康で、研究に何の支障もない。多忙なウイークデーだけかと思えば、週末も同じく4時間睡眠。それが彼のリズムなのだ。 ショートスリーパーについての研究で、何十年も6時間未満睡眠なのに健康なアメリカ人親子を調べたことがある。 彼らの遺伝子のうち、生体リズム(ヒトの体に備わったリズム)に関係する『時計遺伝子』に変異があることがわかった。そこで、この親子と同じ時計遺伝子をもつマウスをつくって睡眠パターンを観察すると、やはり睡眠時間が短かった。 一般的にはマウスでも人間でも、眠らない状態が続くと睡眠負債が蓄積するため、そのあと非常に深い睡眠が増える。「徹夜したあとは、叩かれても起きないくらいぐっすり眠った」という経験が、あなたにもあるだろう。この「短時間睡眠の後やってくる深い眠り」を『リバウンドスリープ』と呼ぶが、時計遺伝子が変異したマウスは、
眠らない状態が続いたあとも、深い眠りは増えなかった。「寝なくてもぜんぜん平気なネズミ」である。 遺伝的に変異かある動物は睡眠欲求が弱まり、短時間睡眠にも耐えられる?。ここから私は『短時間睡眠は遺伝である』という結論を出し、2009年に学術誌『Science』に発表した。 短時間睡眠の話になるとよく登場するのが、かのフランス革命で活躍したナポレオン・ボナパルト。一説によると彼は3時間ほどしか眠らなかったそうだ。 先にあげたエンペラーペンギンといい、「皇帝」という名がつくと、寝不足に強くなるのかもしれない。ただし、偉業を成し遂げたマインドを見習うのはいいが、彼の睡眠スタイルまでまねてしまうと、身も心もボロボロになってしまいかねない。 ナポレオンの子はナポレオン、ショートスリーパーは遺伝なのだ。 あなたの親兄弟はどうだろう?短時間睡眠で元気な人たちだろうか? あなた自身、毎日4〜5時間の睡眠でも健康に過ごしているだろうか?頭は冴えているし、反応も敏捷だろうか?もしそうなら、無理にたくさん眠る必要はない。ショートスリーパーの遺伝子をもつ可能性か高いからだ。だが、短時間睡眠が続くとつらいという人は、ショートスリーパーではないだろう。『ああ、毎日寝不足だ。週末は寝だめするぞ』と感じているなら、それは脳からのSOSサイン。睡眠負債が雪だるま式にふくらんでいるかもしれない。 ほとんどの人は短眠の遺伝子をもっていない。そんな人がショートスリーパーを目指すのは、まったくの間違いだ。巷では「短時間睡眠法」などというメソッドも提唱されているが、科学的な根拠がないうえに、健康を害したり、パフォーマンスが低下したりと、デメリットが大きすぎる。
人間のなかには、ウサイン・ボルトのように100メートルを9秒58で疾走する人もいる。だからといって、私が「同じ人間だから、10秒を切るのも夢じゃない」と思い込むのはあまりにも無謀だ。睡眠も同じで、例外的な遺伝子をもつ人のまねをしても意味がない。
 

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